お久しぶりです。
前回からの続きです。
◆◆合わせて読みたい◆◆
さて、私が考える教育とは…まずは先に結論を述べたいと思います。
「教育とは、考える事である。」
いかがでしょうか?これを考え出した時、結構、腑に落ちました。
まず、ここに行きつくまでのお話をしたいと思います。
まず、「教育」という文字の語源を調べてみました。
教育の「育」は、「育つ(そだつ)」とも読みます。
これは、「巣立つ」からきている説があるみたいです。
「巣立つ」という意味は、「子供が親元から離れ、独立する」という意味みたいです。つまり、「独り立ち」させることになるかなと思います。
次に、教育の「教」ですが、まず、「子」の上の「耂」ですが、旧字体では「敎」と書くみたいです。「子」の上が交差しています。
これは、教育というのは、教育者と被教育者は相互関係にあることを意味しているようです。
なので、「自分の教育係りが悪いから、成績が伸びない」とかいうのは、はやとちりの場合があり、「自分は相手の教育を受け入れる準備を整えていたか?」をまずは顧みる必要もあるかもしれません。
ちょっと脇道にそれました…
教育の「教」は「教える(おしえる)」とも読みます。この「教える(おしえる)」は「をしむ」、「愛しむ」からきている説があるみたいです。
つまり、「愛情を持って接すること」だと説明されています。
ここまでを整理すると、「教育」とは、「愛情を持って接し、独り立ちさせること」になると思います。
では、「愛情」とは具体的に何ですの?みたいになります。良く分からないので、こういうときは逆の意味から考えます。
「愛情」の逆は?…憎悪?
愛情の逆は「無関心」だと思います。
これは、私の考えではないですが、そう思います。これは有名なマザー・テレサの言葉「愛の反対は憎しみではなく無関心です」から、そう思います。
「無関心」の逆は「関心」ですので、「愛情」とは「関心」という意味があるのではないかと思います。
これは、「好きな人の事」や「子と親の関係」を想像すれば、分かりやすいと思います。
好きな人(愛情の対象)の事については、もちろん関心がありますし、子供(愛情の対象)に対して親も関心があります。
子供の本当の虐待は、身体的・精神的虐待ではなく(もちろん許されない事だと思いますが)、全く関心を示されずに放置され、亡くなる事かもしれません。
身体的・精神的虐待は、親の精神コントロールが未熟なため起こり、関心はあるが、未熟なため、子供及び自分をコントロールできないが故の行動なのかもしれません。
…また道がそれてしまった。
つまり、「愛情」とは「関心」であります。
…「関心?」…「関心って何?」
またまた疑問が出てきましたが、これは今までより、すっと答えが出てきました。
「関心」とは「考える事」です。
好きな人はどういうことを行えば喜んでくれるかを考え、子供にどのように育ってほしい、など、子供の将来の事を考えます。
つまり、「愛情(関心)とは、考える事」だと思います。
ということは、教育とは…
「相手の事を考え、独り立ちさせること」。
では、また次回…
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【参考・引用文献】
教育史研究と邦楽作曲の生活:https://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/e/c62ce03d5448011d4f1101d8aeeeb23b
コトバンク:https://kotobank.jp/word/%E5%B7%A3%E7%AB%8B%E3%81%A4-542071
漢字辞典ONLINE.:https://kanji.jitenon.jp/kousei/list.php?data=654e